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第4回97people:市川 洋子さん


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市川 洋子さん

Yoko Ichikawa 教育学部教育学科教育心理学専修卒 埼玉県日高市生まれ。埼玉県立川越女子高校出身。 現在は千葉工業大学工学部教育センターの助教として、教師教育、授業 分析、学生のモチベーションの研究に携わり、大学では心理学・教育心 理学・教師論等についての講義をなさっています。

◆大学時代には、どんな印象や思い出がありますか?

 大学時代は講義、塾講師のバイト、そして往復4時間かかる通学時間に青春のほぼすべてを費やしていました。  早稲田大学というと講義に出ない人の方が大物になるという通説がありましたけれど、私は小物でしたので(笑)、大学の講義を結構楽しんでいました。  「行動分析学」の講義では、道具的条件づけを使って鳩を見事に一回転させる実験に驚き、「社会心理学」では、アッシュが試みた同調実験の再現で、ある問題に対しての答えが明確な場合でも、周囲の人間が間違った答えを言い続けると、自分も周囲に合わせて間違った答えを選んでしまう、といった結果に唸っていました。  また、4時間の通学時間は読書に充てていました。勉強法オタクで、勉強するのは嫌いだけれど多様な勉強方法を知るのは好き。当時、大学の生協に並んでいた「アメリカ式ノートの取り方」といったシリーズを、電車の中で熟読していましたね。

◆大学時代に何か将来の目標や夢、もしくは特に夢中になっていた事はありましたか? また、社会やご自身の将来に対して、あるいは学生時代のその時期に対して どんな事を思ったり考えたりしていましたか?

 大学時代は、地元の塾で講師のバイトをがむしゃらにやっていました。  実は中・高校時代、クラスメイトに数学の問題を教えては喜ばれていたので、調子に乗って教え方を工夫しているうちに、気付けばテスト前になると、友人たちが私の机の前に列を作るようになっていたんです。  この経験から、教える事に多少の自信を持ったので、塾講師のバイトにトライしたんですね。  で、どうなったかといえば、結果は惨敗でした(苦笑)。塾では数学を担当し、20人程度の中学生たちに授業を行いましたが、個別の質問に答える時のようにはいかなかったんです。  今から思えば当たり前なのですが、当時はどうしてか全く分からず、必死についてきてくれる生徒たちに、只々申し訳なくて…。で、もがいてみたもののどうにもならず、とうとう3年目にギブアップ。  「生徒たちは大好きだけれど、教える事には向かないようだから他の仕事に変えて欲しい」、そう塾長に伝え、事務員にしてもらいました。  お茶の準備や書類の整理といった舞台裏の仕事も楽しかったのですが、心の片隅にずっと「生徒たちが心の底から面白いと感じられる授業って、一体どうすれば出来るんだろう。自分が目指したい教育って、なんだろう」という問いが、燻り続けていました。  そして、将来が全く見えないまま、でもその答えに少しでも近づきたくて、大学院に進学しました。

◆現在は、どのようなお仕事をされていますか?

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 大学で心理学関係の科目を教えています。講義以外には、研究・運営といった仕事があります。  まず講義ですが、本務校である工科系大学では「心理学」「教育心理学」「教師論」等の科目を担当しています。  左の写真は「心理学」の実際の講義の様子(テスト中に撮影しました…笑)ですが、1クラス150人から300人の学生たちが熱心に講義を聞いてくれています。  準備や採点は大変ですが、年間1000人を超える若者に出会える超ラッキーなお仕事です(笑)。  次に、講義やその準備の合間にやっているのが、研究と運営の仕事です。  研究とは、ひたすら専門書と論文を読み、調査に出かけ、データを収集分析し、文章にまとめていく作業になります。

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◆今のお仕事をされるに至るきっかけや流れは、何だったんでしょう?

 ひとつには、工学系の研究者だった父の影響があったように思います。自宅には、題名さえ謎の本が沢山と、暇さえあればそれらを読んでいる父の姿とがありました。  既に小学生の時には、謎の実験装置を見せられたり、半導体やら訳の分からない話やらを山程、父から聞かされていた記憶があります。はっきり言って内容はよく分からないままでしたが、「研究って、何だか面白い事らしい」と刷り込まれ(苦笑)、将来は研究する人になりたいな…とぼんやり考えていました。  中学生の頃には、理系の研究者もいいなと思っていましたが、進路を変えようと決意したのは、たぶん原爆の話を聞いた時です。  当時、キュリー夫人に憧れていたのですが、人類の幸せの為にと見出されたものが、使いようによって、こんな結果をもたらす事もあるのだと、非常にショックを受けました。  悲劇が起きない為に、どうしたらいいんだろうと、考えました。当時の結論は、まずは使う側の人間の心理を理解し、その上で教育を通して出来る事が、きっと何かあるはずだ。こんな希望です。  こういった経緯を経て、大学では理系学科ではなく、教育と心理の両方を学べそうな教育心理学専修に入学しました。  その後は、前述の通り塾講師のバイトで惨敗。しかし慕ってくれた生徒たちの為に、何か出来る事があるはずとの思いで、大学院に進学し、中学校の授業や授業作りについての研究をしていきます。  過程においては研究が進まず苦しい時期もありましたが、指導して下さった恩師、そして仲間のお陰で何とか続ける事ができ、現在に繋がっています。

◆今後、目指している目標や展望等をお聞かせ下さい。

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  教師の成長をサポートする仕事を進めていきたいです。  教師の仕事は勿論、喜びも多いのですが、先が見えにくい問題、辛い失敗にも多く出会います。でも、そういった失敗や迷いが、教師の実践を豊かにし、結果として教師自身の成長へと繋がる事も多々あります。その繋がりをサポートしていくプログラムの開発や実践を、仲間と共にやっていきたいと思っています。  こういった事柄を通して、まずは自分が教師として人として、少しでも成長する事。そして未来を担う学生たちとの出会いをもっと豊かなものにして行く事、これが望みです。  更に、一緒に成長していける仲間たちと切磋琢磨しあいながら、教師と子どもが学校という場で過ごす時間を、より充実したものにする事。そして、そんな充実した時間を過ごしてきた若者たちで溢れている社会の中で、私自身も老後を楽しく過ごし、最後は笑顔のまま、ぽっくり逝く事が私の究極の展望というか野望です…(笑)。


市川 洋子さん


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